2011年12月30日
泣かないよ.
あんりは滅多に泣かない.
我慢強いほうだと思う.
私がそばにいるときは,ホントに泣かない.
泣くときは,よっぽどイタイか空腹か,といった感じ.
だから,泣いたらすぐに対応してやることにしている.
最近,うそ泣きも覚えたんだけどさ...
まあいいかと時々だまされてやる.
でも,そりゃダメだろって時は「うそ泣き知ってるよ」と返す.
結構ピタッと止んだりする(笑).
外で転んだり,何かにぶつかったりすると,大人が先に「痛かったねー」と声をかけてくれる.
声をかけてくれるのはありがたい.
ありがたいが,タイミングが違うと思う.
まあ,だいたい知らないひとだから仕方ない(笑)
痛いか痛くないかは本人が感じることだ.
そのくらい1歳でもわかる.
痛くないのに「痛かったね」と言って泣かせることに,どれだけの意味があるのか?
言葉わかるのか知らんが,泣くんだよ,うちの子は.
ちょっと痛くても,それより遊んでて楽しいという気持ちが勝ったら,あんりの人生は「楽しい」になるんだから,わざわざ大人が泣かせんでくれ.
というのが本音.
だけど.
1歳になってから,週に2回,保育所に預けている.
他の子にちょっかい出されると,すぐに「うわーん」と泣くらしい.
いいことだと思っている.
泣かないと助けてもらえないから,私がいないときは泣くのがいい.
私がそばにいるときは,同じシチュエーションでも泣かないから,保育士さんは驚く.
「あれー?いつも泣くのに?」という.
泣かなくて当たり前だと思う.
泣かなくても,私は必要なときにあんりを助けるのだから.
「ウッ」となったときに,本人の気持ちを(話せないのだから)代弁してやれば済むことだと思っている.
ときどきは失敗もする.
目を離して痛い思いをしてたりもする.
仕方ないと思う.
そして,私の周りでは,あわてて「痛かったねー」と声をかける大人がいないことに感謝する.
そしてさらに,夜中にブログ更新なんてしないほうがいいとちょっと後悔したりする…
夜中に好きな人に手紙書くような行為だな,こりゃ.
(朝読み直したらひどい状態だと気付くわけね)
我慢強いほうだと思う.
私がそばにいるときは,ホントに泣かない.
泣くときは,よっぽどイタイか空腹か,といった感じ.
だから,泣いたらすぐに対応してやることにしている.
最近,うそ泣きも覚えたんだけどさ...
まあいいかと時々だまされてやる.
でも,そりゃダメだろって時は「うそ泣き知ってるよ」と返す.
結構ピタッと止んだりする(笑).
外で転んだり,何かにぶつかったりすると,大人が先に「痛かったねー」と声をかけてくれる.
声をかけてくれるのはありがたい.
ありがたいが,タイミングが違うと思う.
まあ,だいたい知らないひとだから仕方ない(笑)
痛いか痛くないかは本人が感じることだ.
そのくらい1歳でもわかる.
痛くないのに「痛かったね」と言って泣かせることに,どれだけの意味があるのか?
言葉わかるのか知らんが,泣くんだよ,うちの子は.
ちょっと痛くても,それより遊んでて楽しいという気持ちが勝ったら,あんりの人生は「楽しい」になるんだから,わざわざ大人が泣かせんでくれ.
というのが本音.
だけど.
1歳になってから,週に2回,保育所に預けている.
他の子にちょっかい出されると,すぐに「うわーん」と泣くらしい.
いいことだと思っている.
泣かないと助けてもらえないから,私がいないときは泣くのがいい.
私がそばにいるときは,同じシチュエーションでも泣かないから,保育士さんは驚く.
「あれー?いつも泣くのに?」という.
泣かなくて当たり前だと思う.
泣かなくても,私は必要なときにあんりを助けるのだから.
「ウッ」となったときに,本人の気持ちを(話せないのだから)代弁してやれば済むことだと思っている.
ときどきは失敗もする.
目を離して痛い思いをしてたりもする.
仕方ないと思う.
そして,私の周りでは,あわてて「痛かったねー」と声をかける大人がいないことに感謝する.
そしてさらに,夜中にブログ更新なんてしないほうがいいとちょっと後悔したりする…
夜中に好きな人に手紙書くような行為だな,こりゃ.
(朝読み直したらひどい状態だと気付くわけね)
Posted by 乾 恵子 at 01:14│Comments(0)
│あんり1歳
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